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コロッケ「真珠腫性中耳炎」と「あおいくま」 [金スマ]






コロッケさんが今夜3月2日放送の
金スマ 波瀾万丈」に登場してました。


コロッケさんは子供時代、
極貧生活を送りながらも、母の言葉、
あおいくま」に支えられてやってこられたといいます。



あおいくまとは


あ…あせるな
お…おこるな
い…いばるな
く…くさるな
ま…まけるな


という、コロッケさんの実家の家訓。


そして、
中学生の時にはもう聞こえなくなったという右耳の話。


番組の最後で披露された「母へ捧げるバラード」。


コロッケさんの波瀾万丈、とても感動でした。




昭和35年3月13日、
コロッケこと、滝川広志は熊本に生まれる。


母は病院の看護助手として、
昼も夜も働いていたそうですが、稼ぎは少なく、
コロッケさんと姉、そして母の3人家族が暮らしていくには
厳しいものだったそうです。


ただ、その母はいつも笑顔でいて、
コロッケさんの記憶の中では、母がふさぎ込んでるシーンは
記憶の中でほとんどないそうです。


コロッケさんが物心ついた時にはもう壁に貼ってあった言葉、
それが、


あおいくま


あ…あせるな
お…おこるな
い…いばるな
く…くさるな
ま…まけるな


「あおいくま」のおかげで笑顔の絶えない一家だったそうです。


コロッケ姉弟にとって娯楽はテレビ。


そしてコロッケのものまねの原点は、
姉のものまねだった。


歌番組を見ては、
ものまねをして遊んでいた貧しかったコロッケ姉弟。


コロッケさんは中学生の時、
右耳に猛烈な痛みを覚える…。


診断結果は、


「真珠腫性中耳炎」。


小学2年の頃から中耳炎を放っておいた結果、
真珠のような塊ができ圧迫。
それが耳の周りの骨を破壊していた。


これ以上放っておけば、命の危険も。


中耳炎がわかる本 急性、慢性化膿性、滲出性、真珠腫性中耳炎


家が貧しかった広志少年にとって、
病院へ行くとお金がかかると思い、言い出せなかったことだった。


「くさるな」「まけるな」


この時も母の言葉「あおいくま」は、
広志少年に大きな力を与えていた。


右耳が聞こえなくなったコロッケさんですが、
“ものまね”ということを考えた時、


「目で聞いて耳で見る」


この、ものまねにとって大切なことができるようになったとのこと。


コロッケさんは高校卒業後、
知り合いのデザイン会社へ就職。


ところが3ヶ月でクビに。


そして東京へ出ていく。


四畳半の風呂なしアパートでどん底の貧乏生活。


1本5円の空き瓶を集めたこともある。


「あせるな」


上京から半年後、
お笑いスター誕生!!」に出場。


6週連続で勝ち抜き、芸能界デビュー。


1985年、
ものまね王座決定戦」がスタート。


ネタ見せ会場では、「つまらない」と言われたことも。


「おこるな」


ものまね界の頂点を目指し、
「ものまね王座決定戦」にて優勝。


「いばるな」


個人事務所を設立するが仕事が激減。
2年間テレビ出演なし。


「くさるな」


今年で芸能生活32年。


「まけるな」


コロッケさんにとって、常に支えとなったのは、
あおいくま」。

これがすべてだったようです。


コロッケさんの右耳は、
今も聞こえない状態で、喋ってこらられてもそれは、
水の中に入って上から喋られてるような感じだそうです。


最後には、封印してきた奇跡のものまねを披露。


武田鉄矢さんのものまねで
母に捧げるバラード」をお母様の前で披露してました。




自分に人生を教えてくれた母に捧げる感謝の言葉、そして、
コロッケ姉弟の子供時代のエピソード、
上京時のエピソードなどを歌詞に織り交ぜ、感動のものまねでした。


母さんの「あおいくま」


中居正広の金曜日のスマたちへ
来週は再び、

人生がときめく片づけの魔法 」でお馴染みの、


こんまり こと、近藤麻理恵 さんが登場です♪


史上最悪のゴミ屋敷にこんまり 先生が挑む…!












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